「この病院、行ったことある気がする」「あの海、観光で行った場所じゃない?」──ドラマを見ながら、そんな“既視感”がよぎったあなた。…はい、僕もです。
2025年放送のドラマ『19番目のカルテ 記憶の診察録』は、ただの医療ドラマじゃありません。毎回心をちくりと刺す会話劇に、「なんでこの場所で撮ってるの!?」という絶妙なロケーションの組み合わせ。まるで“感情の地図”を描くように撮影地が選ばれているんですよ。
この記事では、そんな作品の味わい深さを“ロケ地”から紐解いていきます。つまり、ドラマの世界観を支えた「病院」「神社」「海」「街角」などの撮影場所を、全話通して徹底分析。
ロケ地は、ただの背景じゃない。脚本が伝えたい感情、キャラの内面、視聴者の共感を喚起する装置なんです。
「魚虎総合病院」のモデル地は?
徳重先生が鳥居の間を測ってたのはどこ?
あのラストの島は…本当に東京?
その全部、僕があなたの探偵パートナーとして、現地感覚で解説します。笑えて刺さる“共犯ツッコミ”スタイルでいくから、画面の前で一緒に「うわ、それ伏線だったの!?」って叫んでください。
✔️都道府県: 静岡県・千葉県・神奈川県
✔️注目シーン: 第1話の鳥居/釣りシーン/救急搬送/クレープの公園
さあ、ロケ地から“感情の伏線”を読み解く旅、はじめましょうか。
「魚虎総合病院」のロケ地はどこ?
まず真っ先に気になるのが、主人公・徳重医師が勤務する「魚虎(ななとら)総合病院」。あの清潔感と信頼感に満ちた病院、どこかで見たことある気がしたあなた──勘が鋭い。
実はこの病院、外観と内部で別々の施設を使用しているという“ロケ地トリック”が施されています。視覚情報で混乱を与えず、むしろ“リアルに存在していそうな病院”を作り出すための、巧妙な演出ですね。
外観は富士山バックの静岡がんセンター
病院の全景ショットや正面入口など、建物の外観で使用されているのが静岡県立静岡がんセンター(静岡県駿東郡長泉町)です。
ロケーションとしてはほぼ神立地。富士山がドーンと背景にそびえ、施設自体も最新・大型・清潔感MAXと、映像映えの三拍子が揃ってるんです。しかも実際に全国的にも評価の高い医療機関。いわば“本物の信頼感”が画面越しににじみ出てくる場所。
ちなみに『コード・ブルー』シリーズで使用されたのは八千代医療センターであり、静岡がんセンターではありません。医療ドラマに多用される施設と勘違いされがちですが、ここは『19番目のカルテ』ならではの選択なんです。
徳重先生が立つ姿を遠景で捉えるたび、「あ、この人は本当に命と向き合ってるんだな…」って、場所の持つ説得力がそのままキャラ造形に貢献してました。
内部・救急搬送は八千代医療センターで撮影
一方、診察室・病室・救急搬送などの内部シーンは、八千代医療センター(千葉県八千代市)で撮影されています。
ロビーの導線や通路の幅、救急車が横付けされる搬送口まで、細部までリアリティを重視して使われているのが分かります。中でも印象的だったのが、患者の表情が映るガラス扉越しのショット。実際の医療施設でないと出せない「空気の重さ」があった。
八千代医療センターは撮影協力として公式資料にも明記されており、ロケ地ファンにとっては“聖地確定”です。ちなみに撮影は2025年6月頃とされており、エキストラの目撃談も多数。
ちなみに、かつて『コード・ブルー』2nd Season/3rd Seasonでも、内部ロケ地として東京女子医科大学付属八千代医療センターが何度も使用されています。医療ドラマにリアリティをもたらす“定番ロケ地”のひとつとして、制作現場で重宝されているのは間違いありません。
つまり、あの魚虎総合病院という空間は、「信頼×現実」のバランスを保ったふたつの病院によって作られているというわけ。
感情的な場面は静岡、現場感のある動線は千葉──地理を超えてひとつの「命の現場」が作られていた。ロケ地、脚本、演出の“共犯力”、おそるべし。
“第1話の距離感”に隠された意味:神社&釣り場の舞台裏
第1話の冒頭、徳重先生が無言で鳥居の柱の間を測っている──という、あの謎の行動。いや、「お前、何してんの!?」って思わずツッコミたくなったよね。
でも、ドラマが進むにつれて「あれってつまり、“人との距離”のメタファーじゃないか…?」って気づいたあなた、鋭い。
さらに後半、崖の上での釣りシーン。あれもまた、沈黙の中に“信頼の構築”が描かれていた。第1話は、「感情の間合い」をテーマにした回だったんだよね。
それを支えていたのが、神奈川県内の2つのロケ地。それぞれの場所が持つ“空気感”が、ドラマのメッセージを何倍にも増幅させてたんです。
白髭神社(神奈川県横須賀市):鳥居の距離が語るもの
まずは冒頭の神社。ロケ地は白髭神社(神奈川県横須賀市)。
この神社、海を見下ろす高台にあり、鳥居が3つ並ぶユニークな構造が特徴。そのうちの2本の柱の間を、徳重先生がメジャーで測っていたわけ。
一見ふざけてるようで、実は真面目。あれってつまり、「人と人との“距離感”は数値で測れるのか?」という問いかけだったんじゃないか。
患者との接し方を慎重に見極める徳重の性格と、あの“鳥居の間合い”は完璧にリンクしてた。静かな神社だからこそ、あの違和感がじわっと効いてきたんだよ。
そしてね、演出としても鳥居の奥に抜ける構図が美しい。閉ざされた世界と、そこに射す光──画面から「希望」がにじみ出てたのも印象的だったよね。
剱埼(神奈川県三浦市):釣りを通じた“信頼の距離”
続いて、崖の上で釣りをしていたシーン。場所は剱埼(つるぎざき/神奈川県三浦市)。
ゴツゴツした岩場と、広がる水平線。風の音と波の音しか聞こえない空間に、ふたりの男の沈黙が並んでた。
あの“何も語らない時間”こそが、徳重先生と赤池登先生の関係を映し出してたと思う。言葉よりも、隣にいることで示される信頼感。釣りって、そういう時間なんだよね。
それにしても、海と空しか映ってないのに、ちゃんと“感情が見える”。これってロケ地とカメラワークと脚本が、完全に噛み合ってるからこそ出せる空気なんだよ。
「場所に語らせる」って、こういうこと。
第1話の静けさに刺さったあなたは、すでにこの作品の“感情トリガー”にハマってる証拠。次は、あのラスト──心を浄化されたような島のシーン、いこうか。
心の静けさと再生を映した島:神津島シーンの意味
第1話のラスト、徳重先生がある人物に会いに行く──あの印象的な島のシーン、あなたの記憶にも強く残ってない?
海、空、風。そして静かに語り合うふたりの医師。
セリフも少なくて、BGMも控えめ。だからこそ、あの場所の持つ「静けさ」と「包み込むような力」が、ストレートに伝わってきた。
実はあのシーン、ロケ地は伊豆諸島・神津島村。東京都に属する離島ながら、どこか異国のような、時間が止まったような空気を纏う場所です。
第1話の空撮シーンは神津島村で撮影
地図で見ると、「え、こんな遠くまでロケしに行ったの?」と驚くけど、それだけこの場所が“必要だった”ってこと。
神津島は、伊豆諸島の中でも特に自然が手つかずで残っている島。透明度の高い海、断崖絶壁、一本道に沈む夕日──ドラマ的に“絵になる場所”の宝庫なんです。
でもそれ以上に、この場所が語っていたのは、「孤独」と「再生」。
ひとりで生きていくつもりだった登先生が、なぜこの島にいるのか。
そして、なぜ徳重先生はそこまでして会いに来たのか。
それは単なる“恩師の追跡”じゃなく、「対話が途絶えていた者同士の、再会と再始動」だった──そんな気がしたよね。
ロケ地に選ばれた理由と心象風景の一致
神津島という場所、ドラマ的には“現実から少し遠い世界”として機能してた。
普段の病院シーンでは描けない、登場人物たちの“無防備な心”を引き出すための舞台。それが、島だった。
無言で海を見つめるふたり。
少しずつ交わされる言葉。
照りつける光と、波の音だけが流れるカット。
これ、まさに“感情の浄化”だよ。
病院という「命を扱う場」から距離を置いたからこそ、本当のことを語れた──このロケ地の選択は、ただの美観重視じゃない。物語の本質に関わる演出だった。
ラストシーンで心がすっと静まった人、きっと多いはず。
それって場所の力、確実に効いてるよ。
…さて、次はその静けさとは対照的な“日常のぬくもり”へ。
横須賀の街角で描かれた、「日常×医療ドラマの優しさ」に迫ります。
日常の優しさを描いた横須賀の街角
『19番目のカルテ』って、医療ドラマなのにどこか「やさしさ」が滲んでる作品だったよね。
命の重さを扱ってるのに、観終わったあとに少しだけホッとできる感覚。あれって実は、“病院以外の場所”が持つ空気のせいじゃないかと思うんだ。
患者がふと笑顔を見せるシーン。医師たちが病院の外で、素の表情をこぼすシーン。
その舞台となったのが、神奈川県横須賀市内の何気ない街角だった。
じゃあその“ぬくもりロケ地”を、ひとつずつ読み解いていこう。
平和中央公園:甘さと静けさの象徴
まず登場したのが、平和中央公園(横須賀市深田台)。
木陰のベンチと、開けた広場。そこに現れたのは、クレープのキッチンカー。派手なシーンじゃない。でも、それがいい。
この場所、物語的には「病気の話をしないで済む場所」として機能してた。患者が病院から少し離れて、甘いものを食べながら笑う。医師が制服を脱ぎ、ただの“人”として向き合う。
病院じゃ作れない時間。それを演出したのが、この公園の“日常感”。
そしてね、「平和中央」って名前がもう反則だよね。
戦わなくていい場所、誰にも遠慮せず休める場所──ドラマのテーマに重なる気がして、グッと来た。
パティスリー・ハダ:医師たちの“オフ”の顔
もう一つのロケ地が、パティスリー・ハダ(横須賀市追浜)。
ケーキ屋さんって、それだけで「人のために」が詰まってる空間。誰かの誕生日、記念日、自分へのごほうび。
そんな場所で、徳重先生たちが少し照れながらスイーツを選んでる姿。
もう、完全に“職業じゃない顔”だった。
ドラマって、こういう“オフの描写”が入ることで、キャラが生き始める。
「あ、この人たちも日常があるんだ」って思えた瞬間、感情移入の深さが変わるんだよね。
ちなみに、このケーキ屋さんは地元でも評判の人気店。ファンの間では“巡礼スポット”になりつつあるみたい。
横須賀の街は、どこか懐かしくて、でもちょっとおしゃれで。『19番目のカルテ』が描いた「感情のよりどころ」って、こういう場所にあったんだと思う。
さて、次はちょっと探偵モードに入るよ。
「名古屋」「愛知」で検索する人が多いけど、実際のところは?
…ということで、次章では“未確認ロケ地問題”を追跡します。
“未確認”ロケ地も調査中!名古屋・愛知の可能性は?
ここまで、静岡・千葉・神奈川と、具体的に撮影が確認されているロケ地を紹介してきたけど──
実は、「名古屋」や「愛知県」で検索されている人も、けっこう多いんです。
Googleのサジェストでも「19番目のカルテ 名古屋 ロケ地」「愛知 撮影場所」などのワードが浮上してる。
じゃあ、ほんとにこの作品、名古屋周辺でも撮ってるの?
…結論から言うと、現時点では確たる情報は“出てない”。でも、これがまた気になるのよ。
公式やエキストラ情報で出てない理由とは
ロケ地の情報って、全部が最初から公表されるわけじゃない。
とくに、屋内撮影やスタジオセットが絡む場合、場所の特定はむずかしいし、意図的に“非公開”にしてるケースもある。
名古屋市や愛知県内には、医療系のセット撮影を行える施設や、ロケ誘致に積極的な公共機関もあるから、「実はここで撮ってた!」なんてパターンも十分ありえる。
さらに、地元のエキストラ募集や撮影協力の情報も、SNS等で“リアルタイム拡散”されないまま終わってるケースもあるから、探偵視点では「見逃しの可能性アリ」と判断。
もしロケされてたら…視聴者の探偵力に期待
こういう時に頼りになるのが──そう、あなたの“気づき”。
「この建物、名駅のあそこに似てない?」
「あの公園、熱田神宮の近くじゃない?」
みたいな、“画面越しの記憶違いにしてはリアルすぎる既視感”。
そういう感覚から、実際のロケ地が特定されることって、意外と多いんです。
もしかすると、病院以外の通院シーンや、患者の自宅シーンなんかは、名古屋市内や愛知県内の住宅街でこっそり撮られていたかもしれない。
視聴者による「ここで撮影してたよ!」という目撃談や、エンドロールにある“特別協力”の文字列──そこに、真相への手がかりがあるかもしれません。
今のところは「未確認」だけど、“未確定=空白”ではない。
ロケ地探偵として、まだまだ目を光らせていこう。
さあ、次はいよいよラスト。
これまでのロケ地すべてを通して、『19番目のカルテ』が何を描こうとしたのか──その“感情の正体”に迫るよ。
まとめ:ロケ地から『19番目のカルテ』の感情を読み解く
ここまで読んでくれたあなた──もう立派な“共犯探偵”だよ。
ドラマって、セリフや展開だけじゃなくて、「どこで撮られたか」っていう場所そのものが、感情の伏線になってること、気づいてた?
『19番目のカルテ』のロケ地を振り返ると、それがよく分かる。
- 静岡がんセンターが見せたのは、医療の“真面目さ”と“希望”。
- 八千代医療センターが支えたのは、緊張感ある現場の“リアル”。
- 白髭神社では、人と人との“距離”が静かに語られ──
- 剱埼では、信頼を生む“沈黙の時間”が映された。
- 神津島は、孤独と再生を象徴する“浄化の場”として。
- 横須賀の街角には、日常の“やさしさ”が流れていた。
どのロケ地も、ただの背景じゃなかった。
キャラクターの感情や関係性を浮き彫りにし、見る人の心にもそっと入り込んでくる。そんな「感情の装置」として機能していたんだよね。
たとえば、あなたが「このシーン、なんか泣きそうだった」って感じたとしたら──
それは、セリフの力だけじゃなく、そのシーンが撮られた“場所の力”も働いてたはず。
そして、まだ未確認の“名古屋ロケ問題”。
ここも含めて、僕たちはこれからも『19番目のカルテ』の世界を、ロケ地という視点からもっと楽しめる。
ドラマってさ、感情の解体作業場なんだよ。
心をいったん壊して、再構築して、新しい自分と出会わせてくれる。
そのプロセスを、映像と、そして「場所」が支えてくれる。
この記事読んだあなたなら、“ここ伏線じゃない?”って僕と一緒にツッコミ入れながら、最後にちょっと笑えたはず。
次回も、顔芸と構成のズレを一緒に分析しようぜ。
ドラマは、あなたの心を笑わせ、突き刺す装置だよ。
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